In Memoriam Dusty

 18年と3ヶ月の生涯でした。犬の年齢としてはきっと90歳くらいでしょう。結婚以来のわたしたちの人生の3分の2、子どもたちの人生のほとんどを一緒に暮らしました。家族の旅行も一緒に泊まれるところばかり。それができない時には、いつものお医者さんに預かってもらいましたが、そういう旅行はたいてい、早く帰ってダスティに会いたくなり、予定を切り上げて帰ってきてしまいました。前回のリーヴの時にはプリンストンにも一緒に連れて行き、1年を過ごしました。アメリカではこの犬種は多くないので、どこでも大人気でした。
 わかりやすいわんこでした。言葉は話さなくても、まなざしとからだ全体で言いたいことがよくわかりました。犬語翻訳機があっても不要だったでしょう。かわいいね、とほめられるのが嬉しくて、誰のところにでも寄ってゆきました。というより、かわいがってもらえる人を嗅ぎ分けて寄ってゆくのかもしれません。ほんとにかわいいのです。つい最近まで、毛並みもつやつやで、表情も豊かで、歳のことなど忘れていました。


(1991.10.7-2010.1.8)

 病気ひとつしたことがなく、いつも健康で丈夫なわんこでした。キャンパスに住んでいたので、毎晩散歩をしたのがよかったのかもしれません。若い頃は1時間ほど歩きました。わたしのストレス解消にも役立ってくれました。そのお散歩半径は次第に狭まり、晩年は身体を吊り上げてもらってよたよたと近場を歩くだけ、最後の半年はそれもできなくなりました。1年半前に一度危機を迎え、週に2度の点滴で少し回復しましたが、点滴はその後も間隔をあけて続けました。
 最期はあっと言う間でした。病院でわたしは自分の泣き声を止められませんでした。声を上げて泣いたのは大人になってはじめてだと思います。抱かれている時は小さく丸まっていましたが、箱に入ると伸ばした身体がずいぶん大きく見えました。それが息をしていた時とまったく同じ顔なのです。当たり前か。でもそれがとても信じられませんでした。
 ペット葬儀だとかでお寺と連携している業者は大仰な儀式をするらしいですが、わたしたちにはお線香やお坊さんは不要なので、ネットで調べて、移動火葬車というのを頼みました。家までやってきて、お骨にして返してくれます。埋めなくてよかった。これならどこにでも一緒にもってゆけます。離れて暮らす子どもたちにもと、ペンダント型のカプセルも二つ作ってもらいました。小さな小さなしっぽの骨と歯と爪が入っています。
 これでわが家は文字通りの empty nest になってしまいました。今までダスティが占めていたスペースを見るのもつらく、急いでおむつやご飯の残りを片づけました。よほど気をつけないと、ペットロス症候群になってしまいそうです。幸いリーヴでもうすぐ渡米するので、気が紛れるでしょう。これを書いたのも自己治療の一環です。こんな文章につきあわせてしまいすみません。誰も読まなくてもいいのだけれど、読んでくれてありがとう。
 All dogs go to heaven と言います。それは神学的にも正しいのです。犬は人間のように意図的な悪さをしませんから。天国に行ったら、ダスティに会えるのかな。それならやっぱり天国に行きたいな、と思います。あれ、お父さんだけ来てませんね、なんて言われたくないし。
 きっと今は楽しく走り回っていることでしょう。あいつのことだから、誰彼かまわずじゃれついているに違いない。神さま、わたしたちの人生にダスティをくださってありがとう。限りなく豊かで楽しくて幸せな年月をありがとう。再会の日まで、どうぞダスティをよろしくお願いします。

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