Poland, July 2014

ヴロツワフで「過去との遭遇」

市庁舎
大戦直後
ヴロツワフ Wroclaw は、ポーランド南西部の古都。西暦1000年頃に開かれ、その後ハプスブルク家やプロイセン王国の支配を受け、第二次大戦までドイツの町ブレスラウだった。それを知らずに出かけたため、思わぬ発見ばかり。自分の無知が原因ですが、とても面白かった。ドイツとロシアに対する市民感情は複雑で、やや物騒なジョークもいろいろ聞きました。アメリカの「ポーランド人ジョーク」の逆バージョンですね。

ドイツとの赦し
でも、これは1965年に始められたカトリック司教によるドイツとの相互的なゆるしの記念。"We forgive, and ask for fogiveness" とある。このことについて、英語でも日本語でも自分で論文を書いたくせに、この町にその記念碑があるなんて、知りませんでした。A Grand Design for Peace and Reconciliation (2008), 『平和と和解のグランドデザイン』(2009年)――どちらも「著書ページ」で「共著」をクリック。

歴史博物館
町の歴史博物館は、長くロシアに接収されたままだったのを、ようやく返還してもらって作ったとても誇り高い施設。全方位型のジオラマで、何と日本語の解説もあった。展示の中心がタデウシュ・コシチュシコ (Tadeusz Kosciuszko, 1746-1817) という興味深い人物。リトアニア(現ベラルーシ)の貴族家庭に生まれ、アメリカ独立戦争に義勇兵として参加し、ワシントン将軍の副官として戦ったとか。1791年に帰国して憲法制定に参画、やがてポーランドの独立を求めてロシアに叛旗を翻し、ラツワヴィッツェの戦いで大勝する。

シュライエルマッハー
の洗礼記念板
ヴロツワフはまた、ブレスラウだった頃、「近代神学の父」と呼ばれるフリードリヒ・シュライエルマッハーが生まれた町でもある。改革派牧師の家庭に生まれたフリッツ少年は、やがてベルリン大学教授となり、時代に抗してロマン主義の古典『宗教論』などを著した。そんなことも知らずに、たまたま町の大学教会を訪れたら、この記念碑に出くわしました。。。

市庁舎内にある
ボンヘッファーの記念像
外にある記念像
バラが一輪捧げられている
ボンヘッファーが
家族で6歳まで住んだ家
国際ボンヘッファー協会が
1996年に設置した銘板

さらに、この町でディートリヒ・ボンヘッファーが生まれ、幼年期を過ごしている。そんなことも知らずに別の目的で現地を訪ねた自分の無知について、岩波『図書』(2014年11月号)に書きました(「その他」ページで「新聞・雑誌・エッセイなど」をクリック)。ほんと、ヨーロッパは戦争の歴史を知らないと何もわからないんですね。

アウラ・レオポルディナ (Aula Leopoldina)

ヴロツワフ大学は、神聖ローマ皇帝となったハプスブルク家のレオポルト一世が、晩年にイエズス会の神学と哲学のために創設した学校に始まっている。そのレオポルト一世を記念して作られたのがこの講堂。入り口の扉からして絢爛豪華。よく見ると、ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲があり、その胸にはレオポルト一世のLとIの文字が刻まれている。講壇中央では、レオポルトが異端的内紛の象徴である髪を振り乱した女性 (discordia) と、愚かさの象徴であるロバ耳の若者 (stultitia) を組み敷いている。ちなみに、この町では街角のあちこちにドワーフがいるが、大学の通りにいるのは大学教授の小びとさん。
講堂入り口
入り口の扉
レオポルト一世
小びとの教授

内部もこてこてのバロック的装飾。伝統的なリベラルアーツの自由七科では、文法・論理学・修辞学という表現系の三学と幾何学・算術・音楽・天文学という思考系の四科が含まれるが、ここでは特にそれを踏襲していない。詩学が含められているところはプラトンからすれば驚きだろうし、絵画・彫刻だけでなく印刷や薬学まで含められているから、これはリベラルアーツの殿堂というよりも、18世紀当時のヴロツワフ大学で教えられていた主要学科を示していると思われる。ところで、文法をオウムが象徴しているのは、正しい構文をオウムのように繰り返す、ということなのかな。
文法(オウム)
修辞学(caduceus)
音楽(竪琴)
天文学(望遠鏡)
幾何学(コンパス)
算術(書き板)
詩学(桂冠)
絵画
印刷
彫刻
薬学(Aescrepiusの杖)

平和教会 Peace Churches in Lower Silesia

近代ヨーロッパの秩序は「三十年戦争」で基本型が定められた。その直後の「ウェストファリア平和条約」(1648年) に基づいて、スウェーデン人たちがハプスブルク皇帝にプロテスタント教会の建設を願って許可されたので、「平和教会」と呼ばれている。建設にあたっては、町の大砲の射程内にあること、人目につく尖塔を建てないこと、煉瓦や石や釘など耐久性のある材料を使わないこと、などの条件がつけられた。だからいずれも木造で、外から見ると質素な作りなのだが、中に入ると贅沢な装飾に圧倒される。3つのうち2つが現存しており、2001年にユネスコ世界遺産に登録されている。
シフィドニツァの教会
礼拝堂内部
説教壇
洗礼盤(1661年製)
ちょっと怪しい日本語の看板

ヤヴォルの教会
豪華な内部
説教壇

おまけ

告解を待っているのは
なぜか女性ばかり
ちょっとメタボ気味の
オッサン音楽家
夕暮れのオポーレ市庁舎
塔からは時報のトランペットが
ビールの種類が多い
かなり風変わりな味も


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