ネット講座    識字問題研究入門  千葉杲弘

 

第1章                        ヒト−言葉—文字

 

人と言葉: これまでの識字問題研究は、主に、言語学的研究と発展途上国の社会経済開発や教育発展と結びついた識字政策、識字活動を支える組織や人的、経済的資源といった行財政問題、教材開発や識字教師養成、学習効果といった教育問題、そしてこれらの諸問題と関連した国際協力や援助の問題を中心とする諸分野で行われて来た。しかし、「識字とは何か」、「なぜ識字か」という問題を問いつめると、究極的には「人間とは何か」という根本問題に突き当たるのではないかと思われる。これまで我々は、人間は「言葉を話す動物」であるとか、「火を使う動物」であるといった基準で人間と他の動物を区別してきた。たしかに、人間は2足歩行をするようになり、その結果、他の動物よりも脳が急速に発達し、そこから言語能力が生まれたということである。言葉を持つことによって、人間同士のコミュニケーションが効果的になり、広範な集団生活が可能になったことは事実である。さらに人は火を使用することを覚え、生活様式や生産手段を飛躍的に進歩させることが可能になった。さらに、人間は文字を発明して、多くの慣行を制度化し,また時代を超えて記憶を後世に残せるようになり,時系列的な文明の積み重ねが可能になった。

 現在人間は地球上で全盛期を迎えている.しかし、人間は地球のはじめから今の形で地球を支配していたわけではなく、他の生物や動物が地球上で全盛を誇った時代が長い間続いた。人間の起源を探って行くと5億2000年よりも前の頃に生息していた背中に脊椎の原型である背索と云う固めの棒を背負ったナメクジウオにたどり着くらしい。しかし、ナメクジウオがそのまま進化せず、ただ大量発生して地球上にはびこったとしても、現在のような人間の全盛期には至らなかったことは明らかである。ナメクジウオからは多くの脊椎動物が派生、分化、そして進化して来た。したがって、森羅万象を見回すと、ヒトには多くの類似した脊椎動物や哺乳動物の親戚がいることになる。そのなかでもヒトに一番近い親戚はサルである。

 確かにサルの集団内にもコミュニケーションは存在し、集団生活を可能にしている。また、ある種の集団組織と秩序も存在している。そのコミュニケーションの手段を言葉というか,単なる感情の表現や合図というかははっきりしないが、猿人といわれるヒトの派生初期には.人間はサルの合図が分かり、サルも人間とコミュニケーションをとっていたのかもしれない。サル集団と人間集団の間に交流があったのか、別々の領域に棲息して共存していたのか、あるいは常に争って来たのかは定かではない。しかし、ヒトもサル同様樹上の生活をしていたらしい。サルから分岐した猿人類や原人は絶滅し、ホモサピエンスというサルの一派だけが現在まで生き残り、ヒトとして栄えていることは事実である。一方サルは、人間に森の奥に追いやられたり、動物園や猿山に収容されながらも、現在もサルとして存在し続けている。最近の研究により、サルだけではなく,他の動物、特に渡り鳥などにもコミュニケーション能力があり、その手段により集団生活をおこなっていることが少しずつ分かって来た。このように他の動物のコミュニケーション能力の解明が進むにつれ、これまで我々が、音声言語能力をもってヒトと他の動物を区別して来た「人間」の定義が、いつかは崩れることも考えられる。しかし、言語能力には,音声、単語,文章という異なった要素があり,さらに文字を加えると、この高度の言語能力をもって人間を定義することは今後も変わることはない。すくなくともサルが文字を独自に発明することは今のところ考えられないからである。

 約900—800万年前に、ヒトはサルから分岐し、10種類以上の猿人が誕生したといわれている.猿人の時代は400万年以上も続いたようである.この時代に、猿人は2足歩行を始めるようになり,その結果脳は大きくなっていった。エチオピアのアディスアベバ国立博物館には,320万年前に棲息したヒトの祖先であるアファール猿人のミイラが収められている。体長は120センチくらいの女性のようだが、2足歩行をしていたらしい。その当時に名前があるはずはないが,現在はルーシーと呼ばれている.またアフリカのチャッドでは700万年前のトゥマイ猿人の骨も発掘された.猿人が如何なるコミュニケーション能力をもっていたのかは分からないが,音声,単語,文章という言語は保有していなかったといわれている。

 猿人に続いて原人が170—180万年前にアフリカに出現した.猿人と原人の共存した時代があったのか否かは分からないが,原人は,道具を作ったり、使用する能力を備えるようになり、ホモハビルス、ホモエレクトスという名で知られている。16種類以上のヒト族がいたらしいが,その一派であるホモエレクトスは100万年前頃アフリカを出発し、中東を通ってヨーロッパやアジアに到達したようである.これが人類の第一波の移動である.ジャワ原人,北京原人やハイデルベルグ人の骨がアジアやヨーロッパで見つかっている.

 ホモサピエンスは20万年前頃,アフリカに誕生した.次第にその勢力を強め,アフリカに広がっていったが、その一部は10万年前頃から北上を始め、4—5万年前にヨーロッパやアジアに到達したもようである。これも第一波の移動同様中東地域を経由したもようであるが,今のジブラルタルの方向も経由した可能性もある。この一派を旧人と呼び、ネアンデルタール人やソロ人の骨が発見されている。しかしこの時代には未だ言葉は存在しなかったようである。どうやらネアンデルタール人は,外見はヒトと全く同じであったが,のどの構造が骨格的に異なり,言葉をうまくしゃべれなかったといわれている.狩猟などの集団行動や社会組織構築を十分に行えず,種族として存続する上で大きなハンディキャップであった.したがって、原人は4−5万年前に出現した新人といわれる現世人類との生存競争に破れ,3万年前に絶滅したといわれる。あるいは歴代の交配でホモサピエンスに吸収されていったのかもしれない。遺跡の発掘により判明したクロマニオン人、グリマルディ人、周口店上人洞人等が新人の代表的な人種としてあげられる。

 言葉の存在をもって人間を規定する定義は,ホモサピエンス、特に新人の出現以降可能になるが,それ以前の猿人や原人にはあてはまらない。言葉は4—5万年前にアフリカに生まれ,ヨーロッパに到達した新人ホモサピエンスはすでにしっかりした言語能力をもっていたと云われる。言語は,感情表現だけでなく、共同生活の手段として,意思伝達の手段として,また思考手段として、人類の発達の中核的要因であった.一方原人であるクロマニオン人等もすばらしい芸術的才能も持っており,ヨーロッパ各地の洞窟のなかに多くの壁画を残している。フランス中部のラスコーに現存するヨーロッパ最古のクロマニオン人の描いた動物の躍動的壁画は,現在の芸術と比べて全く遜色がない。したがって芸術的能力の開花をもって人間の起源とする定義を主張する専門家もいる。 一方最近のゲノムの研究の進歩により,人間は均一のゲノムを持っているのに対し、チンパンジーのゲノムは個別差が大きいことも判明した.このことから人類の祖先は数千か数百といった少数の同質な生物であったことが推測され,そこから現在の68億人にまで増大し,これからもしばらくの間は増大し続けるものと思われる。

 

言葉と文字: 音声言語,単語、文章のコミュニケーション手段に初めて文字が加わったのは紀元前3500年頃とされる。考古学の発掘調査によって現在までに発見された文字の中で、人類最古の文字とされるのはメソポタミアで生まれたシュメール語である。今後の調査でさらに古い文字が発見されるかもしれない。

 樹上生活から地上生活に移行した人間は、やがて洞窟の中や、壕や木材、石等の囲いの中で外敵の脅威から身を守りながら生活するようになった。メソポタミアでは紀元前8500年頃から農耕や牧畜が始まった。家族を中心とする部族集団は飛躍的に発展して行き,社会機能も分化し、専門化されるようになる。こうしてセム系のウバダイ文化が紀元前4000年頃に誕生し、やがて,紀元前3000年頃にはシュメール人の都市国家へと発展していった。また都市国家は、多くの場合神殿を中心とする王朝の形態をとり、この時代に栄えた初期王朝としてウル,ウルク、キシュ等があげられる。文字はこの王朝成立の過程のなかで生まれた.王朝の統治者、権力者は,必然的にその地位を神の化身、神族との血縁、または神のお告げという神権によって正当化した。そのために文字は支配者の正当性を示す必需品となったのである。王や王朝の系図と歴史といったように、文字はやがて国を治めるルール、罪を裁く法,教育や学問の書としても用いられるようになった。紀元前1900年頃に作られたバビロン第1王朝のハンラビ法典は、非常に有名である。一方農耕生活や食料の確保保存にも文字は絶対に必要となった。生産量,消費量、売買、季節や温度の変化等を記録するために文字や数字は欠かせなくなった。

 メソポタアミアにはシュメール語以外にも多くの言語が誕生し、隆盛した。

アッカド語、アッシリア語、エラム語、ヒッタイト語、フリル語,ウガリト語、

ヘブライ語、ペルシャ語、アラム語等であり、正書化、標準化により,より効果的になり、広範な言語文化の形成に貢献した.多くの場合粘度板の上に刻まれたが、後には石に彫られるようになった。シュメール語が、楔形文字を使用したのに対し,クレタ文明の言語は象形文字を使用した。ヒッタイト語のように象形と楔形を併用した言語もあった。ウガリト語は、初めての表音文字で,フェニアキア人に伝わり、貿易を通して地中海沿岸に広まり,やがてギリシャに定着してギリシャ文明の興隆に貢献した。さらにローマ帝国はギリシャ文明から多くを吸収し、ラテン語を完成し、ローマ帝国の拡大とともにラテン語は欧州全土に広がり、アルファベットとして世界中に広まっていった.つい最近までラテン語は一般教養教育の言語として,世界各地の大学で教えられていた。

 数々の王朝が興亡したメソポタミアと異なり,エジプトには強大な王朝が誕生した。ハム系の民族は紀元前6000年頃に農耕牧畜を中心として定着し始めたが、紀元前4000年頃には先王朝時代が始まった。紀元前3100年頃には、統一国家が誕生し、初期の王朝時代がはじまった。この地はメソポタミアと地理的に隣接していたことから、いろいろの面で影響を受けた。ヒエログリフは初期王朝時代が成立した紀元前3100年頃に出現したが、これはメソポタミアにおける文字の発明に影響されたのではないかとも思われる。ヒエログリフとは、まさに神々に対する讃歌や王朝の栄光の記録を示す神聖な文字であった。最古の史料としてナルメル王の名が刻まれた化粧板が現存する。

 ヒエログリフは700字の基本的文字からなるが、3000語以上の派生語が存在した。縦、横、左右と自在に綴れ、表意文字と表音文字が存在し、ヒエログリフにも24個のアルファベットが定められ、ギリシャ語のアルファベットの誕生にも貢献した。ヒエログリフには、行書体(ヒエラティック)と民衆文字の草書体(デモティック)も存在した。パピルスの使用によりヒエログリフは広く普及した。しかし、ヒエログリフは非常に複雑で難解であったため、この文字を記す専門の書記を必要とした。歴代王朝の宮廷では,書記は庶民の中では最高のエリートとして尊敬され、厚遇され、納税や労務の義務を免除された。したがって,多くの庶民の子弟はこぞってヒエログリフを学び、書記を目指した。書記がいかに憧れの職業であったかは,現在カイロだけではなく、パリのルーブル美術館等において展示されている書記やその家族の彫刻からも理解できる。

 ヒエログリフは、エジプト文明だけでなく世界文明の発展に大きく貢献した。

例えば,季節の周期とナイル川の氾濫から生まれた農業の暦の確立、神殿や墓の建設に必要な数学、測量,度量衡,土木工学、天文学、航海術等々があげられる。

 メソポタミア文明の影響は,インダス文明の発展にも見られる。現パキスタンやインドの地にも紀元前7000年頃に農耕牧畜を中心とした社会が形成されたが,やがて紀元前3000年頃に初期のハラッパー文明が成立した。さらに紀元前2300年頃には現パキスタンにあるモヘンジョダロ,ハラッパー、ドーラビーラにインダス文明の中心となる高度の計画都市を発達させた。インダスの諸都市はメソポタミアとも交易し、インダス文字を使用した。しかし紀元前1500年頃にはインダス文明は衰退し、歴史から姿を消した。そこに進出して来たのがインド・アーリア語族であった。古代オリエントのインド・アーリア語族は、現在のイランやトルコに地域に存在していたヒッタイト,カシート、リディアとメディア、アケメネス朝などであるが,インド・アーリア語族は、パキスタンやインド地域だけにとどまらず、ギリシャ、イタリック(ラテン),ケルト,ゲルマン,バルト,スラブ,アルメニア、アルバニア等の現ヨーロッパ地域にも分布するようになった。

 一方,人類の移動の波は中国にも到達し、紀元前7000—6000年頃には黄河流域に定着し,外部の脅威から身を守るために,壕の中に集落を形成した。はじめは農業,狩猟、漁猟を営んでいたが,やがて家畜を飼うようになるとともに稲を栽培することを覚え,紀元前4000年頃には水田稲作農業を始め、やがて大集落を形成するようになった。

 はじめに文字が誕生したのは,紀元前1600年頃興った殷の時代でそれは原始的な象形文字であった。銅に刻まれた絵文字が多く出土しているが,これは主に氏族の標識や紋章に用いられ、氏族の長、すなわち、王族が自分達の祖先を祀る時に用いられたのではないかといわれる。紀元前1400—1200年頃には、動物図像,人間図像,物の図像やその組み合わせによって言葉を表現するようになり、亀の腹の甲や牛の骨に刻まれた亀甲獣骨文字または甲骨文や銅に鋳込む金文字が出現した。これも神に伺う占いの言葉であった。殷後期から周時代に文字はかなり発達し、文字の体をなすようになったようだが、その後の春秋・戦乱時代には文字も大きく変化し、諸子百家の活躍で高度化した。しかし、同時に多様化し、混乱を来した模様であった。国家統一と同時に紀元前213—212年に

「焚書坑儒」の名で悪評の高い文字の統一を図ったのが秦の始皇帝であった。皇帝の使用する篆書と臣下の使う隷書を区別したのであった。

 

 文字の発生の過程についてはまだまだ分からないことが多い。たしかにホモサピエンスの新人は,言語能力は持っていたが,発生当初から文字を考案するゲノムを持ち合わせていたのだろうか。文字を考案するまでに4万年以上の歳月を要したことや,アフリカ大陸やその他の地域では近年まで文字を持たない民族も多くいたことから,人類に共通の文字考案ゲノムが最初から存在したとは思えない。文字は人類の進化の過程でいろいろの環境のなかで後天的に生まれたものと言える。しかし世界各地で最初の文字の出現したのが紀元前3500年から1500年の間に集中していることから,これらの時代の特徴の中に,文字を生み出した要因を探ることが可能なのではないだろうか。考古学や言語学を学んだこともない筆者の無謀な仮説ではあるが、文字は古代社会が都市国家や王国に移行する過程で,支配者となった氏族の長や王権者が自己の支配を正当化するために神とのつながりを示す必要があり,そのための有効な手段として文字が考案されたのではないだろうか。これは,古代オリエント,エジプト,インダス川流域や黄河流域における古代文明の発展の中で証明されるように思われる。例えば部族社会が散在して国家が形成されなかったアフリカや他の地域では文字は生まれなかった。   

 歴史の流れとともに,文字は、王権や神権を司る支配者の手から徐々に解放され,他の領域や分野に広がっていった。しかし文字は依然として支配者やエリート階層の所有物としての性格を保持しており,21世紀の現在に至っても,完全に全人類に解放されていない。世界の全人口の中で、未だに9億人の非識字者が存在するという事実や、これらの非識字者の大半が社会の底辺に生きる社会的弱者であることがこのことを示している。また世界のグローバル化は、文字文明の性格を一層顕著にしており、文字を理解できない個人や集団は益々マージナライズされる危険がある。

 

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