【第10回ICU哲学研究会 要旨集】

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哲学に期待し得る何かがあるのか? 否!
──逆説的存在に関する「逆説的学問」の可能性──

田中敦

 「大学の危機と哲学」、この題は現在の諸大学が置かれている状況と学問研究の現状を考える場合、問うにふさわしい緊急かつ真剣な問題であるように思われる。併し問題の重大さとは別に、それがどういう場でどういう趣旨で議論されるかによってその真剣さの意味は変わってくる。哲学研究者の間の議論の場合、それは確かに真面目なものになる。併し、「大学の危機と哲学」という組み合わせを、少し身を引いていっそう広い視野で冷静に見るとしたらどうであろうか。つまり哲学は諸学問の中でどのような位置を占めていると考えられるかということである。
 哲学は諸学問の中でその由来が古く高貴であるというだけで、現実には社会の中で軽蔑と非難を浴びせられる惨めな境遇にあるという指摘がなされたのは既に240年も前であった。諸学問の中の哲学の地位を考えるなら、カントがこのことを指摘し、いかにして形而上学は学問として可能であるか、という問いを必要不可欠と認めた頃よりも哲学にとって事態が好ましくなっているとは到底言えない。哲学に期待されるものが何かあるか、という問いはまさにカントにとっての問いであり、その答えは否であったと言える。カントが遂行しようとしたことは哲学自身が根本から変わらなければその高貴な由来と重い責務に相応しいことを全うすることができないということであった。もしそう言えるのであるなら、事情が当時よりもよくなっているわけでない以上、我々も「大学の危機と哲学」という真剣な問題に取り組むに際して、このカントの姿勢に倣い、果たして現代の大学の危機を論じる資格、能力が哲学にあるかどうかを確かめ、その過程で哲学自体が自らを根本から変貌させることが可能かどうかを問い、その追究に即して大学の危機という問題を考えることが必要なのではないだろうか。
 カントは理性を理性によって批判することで哲学を一変させ、諸学問の学問性を判定し得る立場を確保し得た。その同じ問題を継承したヘーゲルは理性を非理性に引き戻すことを通し、理性そのものの運動を回復することを通じて、客観精神を超える絶対精神の可能性を示して見せた。ここに我々は逆説的な事態に対する逆説的な関わりが哲学自体の変貌を切り開いてきた具体的姿を確かめることができる。
 我々としては我々が現に直面する様々な具体的な問題に対して、そのあるがままの現実を理解するべく努力をするべきではないだろうか。カントの直面した問題を今回の主題と関連付けるなら、大学の危機を検討し、明らかにする資格、能力を備えた学問は何かという問いとして捉えることができる。それは、「期待される何ものもない」と思われる哲学を別にして外にはないというのが私の考えである。これはカントが理性による理性の批判を行うことで哲学に革新をもたらした事例に倣えば、学問そのものの批判と言ってよいであろう。この場合我々が直面せざるを得ない困難は学問を学問的に批判することでは解決できないという難問である。それならば学問を非学問的に批判するのかというとそれは問題外である。ここに解決しなければならない逆説が潜んでいる。
 こうした困難な取り組みに辛うじて手掛かりを与えてくれるのは、フッサールが(彼自身も含めて)「同時代の人々が全く思い描き得ない」ほどの拡がりを持っていると述べている現象学であると私は考える。フッサールが学問を批判する際に一定の学問理解を先立てているのに対して、ハイデッガーはそのことを批判する。学問を学問的に批判する際に こそ現象学の方法が用いられなければならないというのである。その場合方法としての現象学はそれ自体学問的であるのではなく前学問的でなければならない。世界内存在の日常性の分析はそのような意味を担っている。
 あまり注目されることがないが、ハイデッガーの名前と共によく知られている存在の問いは、その狙いとして現にある諸学問の可能性の制約を目がけているとはっきり述べられている。事実として存在している学問をその可能性に関して問うことは無用な詮索のように思われるかもしれない。しかしながら我々が殆ど難しいという意識すら持つことなく行い、語っている他者の理解、異文化の理解も、実は逆説に満ちたものなのである。村上陽一郎氏が取り上げておられる完全な翻訳は翻訳ではありえないことになる、という問題を手掛かりにして、カントやヘーゲルが取り組んだ問題の今日的な課題をハイデッガーによる一定の学問理解を前提することの無い学問の批判、原理を用いない原理の探究の問題として明らかにし、その理解を基にして、時代社会の中で存在意義を持たなければならない大学が、大学であるという核心的な意味をどのように自己規定し得るかを考えてみたい。