- 1980年ICU卒業(社会科学科経済学専攻)。在学中の1976年、Weekly GIANTS Co.(WG/通称ういじゃん)を立ち上げ、学生新聞『The Weekly GIANTS』の初代編集長を務める。日本銀行でシステム開発や内部監査業務に従事、旧小樽支店金融資料館の設立にも携わる。湯浅記念館の特別展や公開講座にしばしば足を運ぶ。趣味は日本茶。
- 2015年6月卒業(国際関係学メジャー、政治学マイナー)。2016年度ミス日本みどりの女神として、G7伊勢志摩サミットやCOP13を含む国内外での活動を通じて日本の森林·林業のPR活動に励む。任期終了後、不動産会社にて東京オリンピック·パラリンピックの選手村開発·運営業務に従事。現在フリーランスとしてUNIVERSITY of CREATIVITY(powered by 博報堂)のプロデューサーを務める。趣味はクラシックバレエと森林浴。
- 湯浅八郎記念館学芸員。美術館、画廊、出版社勤務を経て2014年より現職。過去に担当した特別展に「日本の文様10 意匠を読む」(2016年)、「とり、とりどり」(2017年)、「紙の仕事」「松浦武四郎生誕200年記念 ICUに残る一畳敷」(ともに2018年)、「夜具-夜のしつらい」(2019年)がある。
- 飯塚そもそもどうしてICUに博物館ができたのですか。学内に湯浅記念館があるのは知っていましたが、実は中に入ったのは今回が初めてで…
- 具嶋湯浅記念館は1982年に開館したのですが、それ以降の同窓生でも在学中は展示を見に来たことはなかった、という方は残念ながら意外といらっしゃるんですよ(笑)。館名に名前をかかげているとおり、ICU初代学長の大学創立25周年記念事業計画の一環として1974年に博物館設立構想が立ち上がり、理事会による大綱の承認、開館準備委員会の開設、湯浅八郎民芸コレクションの寄贈を受け、1981年に建設工事着工。翌年1月に竣工、6月1日より一般公開を開始した。湯浅八郎先生の大学に対するご功労を讃えて設立されました。
1890年生まれ。京都大学教授、同志社総長を経て、1950年よりICU設立準備に尽力、初代学長、のちは理事長として大学の礎を築いた。晩年には京都民芸協会会長に就任、ICUで「民芸の心」と題した講演をおこない、自らのコレクションを大学に寄贈するなど、博物館の完成を楽しみにしていたが、残念ながら1981年に開館を待たず逝去。
- 中嶋湯浅先生との思い出を大切にしている創立期の同窓生や教職員も多いですよね。
例えば、C.W.アイグルハート『国際基督教大学創立史:明日の大学へのヴィジョン』(国際基督教大学、1990年)や武田清子『湯浅八郎と二十世紀』(教文館、2005年)で、ICUにおける生前の湯浅博士のさまざまなエピソードを読むことができる。
- 具嶋そうですね。戦後日本に新しい大学、明日の大学を、と開学に尽力され、学長になってからも学生ひとり一人と向き合う姿勢を常に持ち続けていらしたそうです。
過去の戦争への反省と未来の建設をめざすICUの開学の精神を、湯浅博士は「明日の大学」と表現した。博士はさらに「ヴィジョン(幻)」を持って、学び、教育し、研究することを、新しい大学の理念に掲げている。
湯浅先生の専門は昆虫学なのですが、それとはまったく離れたところで、ひょんなことから同志社高等普通学校卒業後、単身渡米、カリフォルニアの開拓農園で働いた後にカンザス農科大学に進学、続いてイリノイ大学大学院で博士号(昆虫学)を取得。京都帝国大学の招聘を受け帰国。新設の農学部教授として後進の指導に当たった。生態学の観点を用いた新しい昆虫学研究を掲げた湯浅博士の門下から、今西錦司、岩田久三雄、可児藤吉、森下清明、内田俊郎ら多くのパイオニアが誕生している。
柳宗悦の民藝運動に深く共鳴して、日本の手仕事の品々をコツコツとお小遣いで蒐集されていて、晩年、その膨大なコレクションのうち6500点をICUに寄贈されました。それが湯浅記念館の収蔵品の基礎となっています。1926年に柳と河井寛次郎、浜田庄司らが提唱した生活文化運動。急速に進む近代化を危惧し、各地の風土に根ざしたより良い生活を追求した。無名の職人の手仕事が作り出す日常の生活道具を「民衆的工芸(=民藝)」と名付け、美は生活の中にあるとした。
- 飯塚6500点も!どんなものがあるのですか。
- 具嶋そば猪口や印判手と呼ばれるやきもの、藍染の仕事着や絣の
手描きではなく型で絵つけをした陶磁器。技術の普及により明治以降、特に美濃や伊万里で大量に製造され、日常の器として庶民の間で愛用された。湯浅博士はまだ一般の関心が薄かった1970年代から熱心に収集、生涯で集めた総数は5千点にも及ぶ。
夜具地、漆塗の重箱や大工道具のふとんをくるむ布地のこと。長く布は貴重だったため、大きな夜具地を新調するのは婚礼など特別な時に限られた。古裂を継ぎ接ぎして夜具地に仕立てたものも多い。
墨壺、木の菓子型、箪笥など、主に江戸時代から昭和初期まで、庶民の生活の中で実際に使われていたものです。今となっては技術も材料も途絶えてしまって貴重なものもあるんですよ。材木に直線を引く木製の工具。歴史は古く、法隆寺建設時にすでに使われていたとされる。龍や魚の彫刻をほどこしたものには工芸品としての魅力もある。
- 中嶋館内にはほかに、考古学の展示室もありますよね。
-
具嶋展示している石器や土器は全部、ICUの敷地内から出土したものです。野川流域のこのあたり一帯では、旧石器時代から縄文時代後期まで2万7千年以上にわたる人々の生活の跡を伝える、たくさんの遺跡が見つかっています。昔から暮らしやすい、良い場所だったんですね。
東京都国分寺市内を源とし、国分寺崖線沿いに小金井市、三鷹市、調布市、狛江市を貫流、世田谷区二子玉川付近で多摩川に合流する全長約20kmの一級河川。崖下には湧水が点在し、恵み豊かな環境の下、ピーク時の縄文中期には多くの小集落が形成された。
- 飯塚自分が通っていたキャンパスに遺跡がいっぱいあったなんて、ちょっと信じられないです。
- 具嶋1957年から大学の教育プログラムの一環として学術的な発掘調査が行われています。湯浅記念館の初代館長だったエドワード・キダー教授の研究チームが発見した
J. Edward Kidder, Jr. ICU名誉教授。1922年生まれ。京都大学で縄文土器研究を修め考古学の学位を取得。ニューヨーク大学で教鞭を執ったのち、1956年にICU着任、草創期における大学の発展を支えた。人文科学科長、教養学部長、考古学センター所長、学務副学長、博物館湯浅八郎記念館館長を歴任。一方で東京都下を中心に、膨大な数の遺跡発掘調査を率いた。92年に勲三等瑞宝章受章、翌年ICU名誉人文学博士号。2014年逝去。
野川遺跡は、日本の旧石器時代研究に大きな成果をもたらしたことで考古学界では有名なんですよ。東京都調布市で発見された旧石器文化の遺跡。当時はICU構内にあったが、現在は東京都立野川公園の敷地となっている。1967年から70年までの発掘調査の結果、4千点もの石器・礫器が出土し、武蔵野台地におけるその変遷が明らかになった。また、調査方法として科学分析を導入し、遺物の年代測定や分布解析などで、その後の日本の考古学研究に新たな手法を普及させた功績も大きい。
- 中嶋湯浅記念館は民芸と考古の展示をしている博物館なんですね。小さいけどきちんと特徴を持たせた良いコレクション方針ですね。常設展のほかにも楽しめる展示はありますか。
- 具嶋年に3回、いろいろなテーマで特別展を開催しています。ICUで教鞭を執る先生方の研究とコラボしたり、私たち学芸員が考えた切り口で収蔵品を紹介する企画です。昨年度は、江戸の社会情勢を諷刺した浮世絵を読み解く
1982年の「湯浅八郎博士と印判手」を皮切りに、「染のかたがみ」「粧いの道具」「刺子とこぎん」「弁当箱の工夫」「幕末から明治の諷刺画」など多彩なタイトルで企画開催。2021年現在まで115回を数える。[過去の特別展一覧]
「諷刺画にみる幕末から明治の庶民」、昔の寝具を紹介した館所蔵作品を中心に、幕末から明治の庶民を生き生きと描いた諷刺画を解説。会期2019年4月9日~7月12日。[詳細]「夜具-夜のしつらい」、ICUの発展を支えたオスマー夫妻の日本美術工芸コレクションを展示した大胆な文様が染め抜かれた夜具地や夜着のほか、夜を過ごすための灯火具など、寝所のさまざまな調度を展示。会期2019年9月10日~11月8日。[詳細]「ICUに眠るコレクション探訪」を開催しました。化学工学者として著名なドナルド・オスマー博士とミルドレッド夫妻が集めた日本の美術工芸品を紹介。会期2020年1月7日~3月13日。[詳細]
今春は沖縄宮古島に伝わる知られざる祭祀を記録した写真展を計画していたのですが、COVID-19で残念ながら中止となってしまいました。「よみがえる宮古島の祭祀 写真家、上井幸子と比嘉康雄が写した記憶」と題して、2020年4月14日から7月3日の開催予定だったが断念。代替イベントとして、湯浅記念館として初めての試みとなったギャラリーツアー動画とオンライントークライブなどの配信をおこなった。[詳細] - 中嶋オスマー博士は化学工学の世界的権威で、ICUの教育環境をとても気に入って多額の寄付をしてくださった方ですね。その基金で新たに図書館を増やすことができたと聞いています。今も学内では新館を親しみを持って「オスマー」と呼んでいますね。
夫妻の遺贈により日本国際基督教大学財団(JICUF)が基金を設立、科学分野での教授職の任用、図書館新館(メディア・ライブラリー)[詳細]と国際学生寮(グローバル・ハウス)の建設が実現した。
でも美術を集めていたなんて知らなかったから、寄贈品の展示を見てびっくりしましたよ。こういう人たちに支えられてICUの今日の姿があるんだと、改めて知ることができました。良い企画でしたね。
- 具嶋
ありがとうございます。展覧会準備の調査で、実はいろいろ判明したことがありました。
オスマー夫妻は30年近く毎年、ニューヨークのご自宅から世界中の友人たちに自らデザインした有田焼のイヤープレートを送っていたんですが、制作を請け負っていた老舗の窯元の会社に夫妻が細かく指示を書き入れたデザイン画が残っているとの連絡をいただきまして、わざわざ佐賀県から社長さんがご来館くださったんです。
後にも先にもあんな特注品は受けたことはないそうで、社内にもプレート全部は残っていないそうなんですね。複雑な工程を後世に伝えるためにも博物館に作品が保存されていて良かった、とおっしゃってくださいました。
- 飯塚ポスターになっていたプレートですね。チョコレートみたいでかわいい!自分でデザインされたなんて、すごすぎます。
2020年1月から3月に開催した特別展のポスター。岩尾對山窯制作の特注クリスマスプレートをあしらっている。
- 中嶋わざわざオリジナルを作らせていたなんて、かなりこだわっているよね。クリスマスカードの代わりだから、裏に挨拶文まで焼きつけてあるんだよ。職人さんは相当な技術と手間をかけたんだろうな。
オスマー博士直筆のメッセージを焼きつけ、世界各地の友人知人宛に送った。
湯浅記念館では展覧会のほかに、講演会をすることもありますよね。
- 具嶋中嶋さんも参加してくださったことがありましたね。特別展のテーマに合わせて講師に専門の先生をお招きして開催しているあとは、学芸員課程の博物館学の授業を館内でもおこなっています。公開講座は、学内学外を問わずどなたでも聴講できます。毎回100名ぐらいの予約がある人気の講座で、リピーターも多いんですよ。単独の講演会のほか、過去にはシンポジウムやディスカッション形式の講座も開催している。2020年6月ではCOVID-19の影響により初めてオンラインのトークライブを開催した。 [詳細]
- 飯塚あ!学芸員の資格が取れる授業ですよね。友だちが受講していました。たくさん単位を取らなくちゃいけないみたいだけど、おもしろそうだったな。ICUでは2004年度に学芸員課程を開設、2020年現在までの15年間でのべ303人が資格を取得し、ICU卒業後、国内外の博物館・美術館等で活躍している修了生も多い。大学博物館を有する大学の利点として、学内で実習を受けられることがあげられる。
- 具嶋ここで実際に資料に触れたり、バックヤード(収蔵庫)を見たり、展示プランを検討したり、学内に博物館を持つ大学だからこそ可能なカリキュラムを組んでいます。特に8日間集中の学芸員実習では、特別展の展示設営に加わることで実習生の皆さんに展覧会を作り上げる経験をしてもらっています。博物館学の所定の単位を取得した後、履修生は夏休みと秋休みに開講するいずれかの実習に参加し、博物館法に規定された要件科目の修了を認められると、卒業時に晴れて「学芸員課程修了証書」が授与される。
また特別展オープン後は、一般の来館者に展示を解説するギャラリーツアーを担当してもらいます。 ICUで資格を取って、いま美術館や博物館で活躍している同窓生はけっこういらっしゃるんですよ。
- 飯塚博物館ってモノを展示しているだけではなく、いろいろな活動をされているのですね。博物館法第2条には、博物館は、「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、併せてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関」とあり、湯浅記念館もこれに則った運営がされている。入館無料ですが、湯浅記念館の運営経費はどこから出ているのですか。館の入口で署名をしていただき、学内学外を問わず、無料で見学・利用ができる。
- 具嶋人件費や光熱費はもちろん、展示室の備品購入やポスターの印刷など館の運営にかかる費用はすべて大学予算です。展示設営や印刷物のデザイン、ウェブサイト管理などは、スタッフが自前でがんばってやり繰りしていますが、今、新たな収蔵品の購入予算はゼロで、博物館としてはかなりカツカツです(笑)。
- 中嶋良いコレクションを構築していくことは博物館の存在意義に関わるから、収蔵品の購入ができないのは大変ですね。
- 具嶋ありがたいことに、展示を見て「ここなら大切に活用してもらえる」と、貴重な作品や資料を寄贈してくださる方が今までも少なからずいらっしゃって、開館以来、体系的に収蔵品を増やしてくることができました。まとまった数の寄贈としては、織田秀雄氏の染織品、黒崎英雄氏の郷土玩具、太田秀夫氏の鐔、前述のD.F.オスマー博士の日本美術工芸などがあり、それぞれ個別に披露展示をおこなった。
また、館の所蔵方針に鑑みてどうしても必要な作品資料がある場合は、当館へのご寄付を使わせていただいて購入しています。
- 飯塚最近はどんなものが新しく収蔵品に加わっていますか。
- 具嶋実は昨年、湯浅記念館への使途指定募金で丹波布の夜具地を入手しました。昭和初期に廃れて「幻の布」とまで言われた稀少な丹波布が、大きな夜具地のままで見つかるのは本当に奇跡で、急いで湯浅記念館の運営委員会に諮って承認をしていただきました。独特のしっとりした風合いの美しい織物で、さっそく特別展「夜具-夜のしつらい」でお披露目をしたんですよ。江戸時代末期から明治の半ばまで、佐治地方(現在の兵庫県丹波市)で「しまぬき」と呼ばれ盛んに生産された伝統的な織物。手紡ぎの木綿糸を藍や榛の木、小鮒草などで草木染めし、ところどころに絹の白いつまみ糸を入れながら手機で織る。衰退し長く忘れ去られていたが、柳宗悦が再発見して「丹波布」と命名、1954年に復興した。国の無形文化財に指定されている。
- 中嶋「明日の大学」に建つ施設として、今後どんな博物館を目指しますか。
- 具嶋第一に、学生の皆さんや教職員の方々がどんどん利用したくなるところにしていきたいですね。ICUの使命であるリベラルアーツ教育に博物館はぴったりの場だと思います。
また学外に対しても、引きつづき生涯学習の機会を提供するなど地域社会とのつながりは大切にしていきたいです。開かれた博物館として貢献していかなければならないと考えています。
- 飯塚さっきお話した学芸員資格を取った友だちは、高校生の時にオープンキャンパスで湯浅記念館を知って、ICUを志望校に決めたって言っていました。土曜日開催のオープンキャンパスは、湯浅記念館の一般開館日とも重なることが多いため、大学説明会の合間に展示室をふらりと訪れる受験生も。受付アルバイトの在校生がリクエストに応じて個別に進路相談などを受けることもあり、大学生活や授業などについて生の声を聞くひそかな穴場となっている。
- 具嶋
すごくうれしいです!
実は、近隣の小中学生が社会科見学で利用してくださることもあって、縄文遺跡や昔の暮らしの道具を説明したり、学芸員の仕事についてお話をしたりします。その中の何人かはICUに親しみをもって、将来入学してくれるのではないかと期待しているんですよ。
- 飯塚今日お話をうかがって、母校に博物館があるって特別ですばらしいことなんだって分かりました。館内はとても落ち着いた雰囲気で居心地が良くて、初めてだけど来て良かったです。これからみんなに自慢していきたいし、未来の後輩にもぜひ誇りに思ってほしいです。建物の設計は、美術館・博物館建築でも数々の実績を持つ前川國男建築設計事務所(鉄筋コンクリート造・2階建/延床面積1,353.13㎡)。赤いレンガ調の外壁や館内に据えた色とりどりのスツール、なめらかな手すりなど、同じ前川建築で有名な上野の東京都美術館とも共通する。
- 中嶋湯浅記念館の存在は、大学の広報にもおおいに貢献しているということでしょうか。想像していた以上にいろいろな役割を果たしているんですね。今後もっと活動を広げていくとしたら、やはりもう少し予算が必要になってくるでしょうね。
- 具嶋開館から38年経っていますし、照明器具や展示壁面などの設備がずいぶん古くなってしまっているのですが、改修するとなると数百万円は必要になるのが頭の痛いところです。また、授業や公開講座で使っている机やパイプ椅子もそろそろ寿命がきていますし…。
- 中嶋
ICUの理想を担う大学施設のひとつである湯浅記念館を、同窓生としてもしっかり支えていかなければなりませんね。
本日はありがとうございました。
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